科学未来タイムズ

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第五回 「一家に一台」ゲノム編集機

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今年のノーベル化学賞には二人の女性科学者が選出された。ドイツのマックス・プランク感染生物学研究所のエマニュエル・シャルパンティエ所長とカリフォルニア大学バークレー校のジェニファー・ダウドナ教授は「CRISPR-Cas9」(クリスパーキャスナイン)と呼ばれる新たなゲノム編集技術を開発した功績を評価され、科学者最高の栄誉を賜ることとなった。この技術はすでに、作物の品種改良はもちろん、がんの新しい治療法の開発や新型コロナウイルスの研究にも用いられている技術であるが、安全性について懸念があった。しかし、10月23日、広島大学大学院医系科学研究科の松本大助教、野村渉教授、東京医科歯科大学生体材料工学研究所の玉村啓和教授の研究グループは「Communications Biology」に、細胞周期を利用した正確で安全なCRISPR-Cas9によるゲノム編集を実現する技術を開発したという研究成果を掲載した。

順を追ってお話ししよう。まず、ゲノム編集とはなにか、である。我々生物というのはみな遺伝情報を持っている。我々の身体はこの遺伝情報をもとにして作られているので、しばしば「設計図」という表現をされる。この設計図を見れば、「この子は足が速くて背が高い」とか、「将来がんになるリスクがまわりの子よりずいぶん高い」なんてことがわかってしまう。それら遺伝情報をひとまとめにしてゲノムと呼ぶのだ。

これら遺伝情報は、我々のからだの中に画用紙があって、神様がその上に設計図を描いてくれている、というわけではなくて、アデニン、チミン、グアニン、シトシン(以下、順番にA,T,G,C)という塩基と呼ばれる物質がどの順番で並んでいるかによって表されている。この塩基の並び(塩基配列)がほんの0.1%違うというだけで、私は神木隆之介として生まれることができず、広瀬すずとして生まれることもできなかった。

そんな憎き塩基配列を人の手によっていじってしまおうというのがゲノム編集である。

ゲノム編集技術はいくつかあるが、CRISPR-Cas9は切断したい部分を教えてくれるguideRNAと切断するはさみの役割を担うCas9から成る。guideRNAの形を変えることによって、自分の切りたいところにうまく案内してくれるような形にすることができる。切られた空白の部分には、元の塩基配列とは別のテキトーな塩基が埋められ、遺伝情報が変わる、という仕組みだ。

しかし、困ったことに、guideRNAくんは、ときどき似たような景色のところで迷子になってしまい、本来自分が案内しなければならない場所にCas9を届けることができないことがある。これをオフターゲット作用といい、安全面で問題があるとされていた。オフターゲット作用が働くと、なにか重要な遺伝情報を失ってしまう恐れがあるからだ。

この恐ろしいオフターゲット作用を90%ほど抑えたのが今回の研究である。細胞周期とは、ひとつの細胞がふたつに分裂する一連の過程のことで、これは4つの期間(G1,S,G2,M)に分けることができる。このうちG1期ではオフターゲット作用が起こりやすく、S,G2期ではゲノム編集がうまくいきやすい。したがって、CRISPR-Cas9の力を、G1期では抑えて、S,G2期では強くしてやればいいというわけだ。この緩急によって、より安全で高精度なゲノム編集を実現することができる。

どうやらCRISPR-Cas9は素人が行っても高い精度でゲノム編集ができるらしい。

この調子でつぎつぎに安全になり、簡単になれば、やがて「一家に一台ゲノム編集機」なんて時代が訪れるかもしれない。そうなれば、自分自身や胎児にゲノム編集を施し、病気や不得意というものが消え、劣等という言葉は消えるだろう。

と、同時に、今でいう優れた人間になることをみなが求め、その結果、個性や才能による個人差はなくなる。

街ゆく人々がみな、アインシュタインの頭脳を持った石原さとみであるそんな世の中を、ユートピアと呼ぶか、ディストピアと呼ぶかは人それぞれであろうが、私は長澤まさみも捨てがたいと思っている。

 著:近藤